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ポロシャツ「SWELL」のデザイン
YUKI NISHIMURAよりリリースされたポロシャツ「SWELL」は定期的に押し寄せる波のうねりであるスウェルから名付けられました。 サーファーは海のなかでスウェルを待ちます。一度押し寄せると波が幾重にも重なりやってくるスウェルはサーファーにとって波に乗れるビッグチャンスの到来です。また、他のサーファーとのポジションの駆け引きが始まるタイミング。「SWELL」のデザインはその波のうねりを表しています。(背面にも同様のデザイン)実はこのデザインはそれぞれのラインの幅が異なります。スウェルが入ってきたとき、波のサイズは同じに見えて高さやパワーが違います。同じ波はひとつもないサーフィンの魅力もこのデザインに込めています。今の有名サーフメーカーでは作っていないデザイン、唯一無二の「これぞ、サーファー」というポロシャツ、是非ご検討ください!
ポロシャツ「SWELL」のデザイン
YUKI NISHIMURAよりリリースされたポロシャツ「SWELL」は定期的に押し寄せる波のうねりであるスウェルから名付けられました。 サーファーは海のなかでスウェルを待ちます。一度押し寄せると波が幾重にも重なりやってくるスウェルはサーファーにとって波に乗れるビッグチャンスの到来です。また、他のサーファーとのポジションの駆け引きが始まるタイミング。「SWELL」のデザインはその波のうねりを表しています。(背面にも同様のデザイン)実はこのデザインはそれぞれのラインの幅が異なります。スウェルが入ってきたとき、波のサイズは同じに見えて高さやパワーが違います。同じ波はひとつもないサーフィンの魅力もこのデザインに込めています。今の有名サーフメーカーでは作っていないデザイン、唯一無二の「これぞ、サーファー」というポロシャツ、是非ご検討ください!

1970年代のサーフファッション
YUKI NISHIMURAは1970年代のサーフデザインを基調に「直線的で雑音のないデザイン」を目指しておりますが、そもそも1970年代のサーフファッションはどういうものなのか、少し紐解きたいと思います。 サーフファッションは、サーフィンブームが世界で起こった1970年代に誕生しました。サーフィンという「自然と融合する自由なスタイル」が生き方やファッションに派生し大きなブームを起こしました。また、アメリカの西海岸、特にカリフォルニアやハワイのビーチで誕生した1970年代のサーフィンカルチャーはその象徴として若者に広がりました。 この頃、日本でも影響を受け、特に湘南、鎌倉ではサーフィンが盛んに行われていました。RASHウェットスーツなど、日本を代表するサーフブランドが誕生したことも、サーフカルチャーが根付いた要因かと思います。 「自由」や「自然との融合」を意識したサーフカルチャーの発展とともに、ファッションにも影響が表れました。特に、サーフィンを題材にした映画「ビッグ・ウェンズデー」(1978年公開)の登場によって、サーファーのライフスタイルが一般にも広く知られるようになり、サーフファッションも同時に浸透していきました。当時日本でも雑誌『JJ』や『ポパイ』で、サーファーファッションが特集され、若者たちの間で人気となりました。1970年代はサーフィンが波に乗るだけではなく、ファッションやライフスタイルとしても確立された時代であり、日本でもその文化が花開いた時期となります。私が生まれた1975年はエネルギッシュな時期だったと想像できます。 1970年代のサーフファッションは、リラックスしたスタイルが特徴で、Tシャツやポロシャツはスモーキーカラーやブリーチしたような色あせたカラーを採用し、Ocean Pacificに代表される胸に横ラインのデザインが主流でした。サーファーショーツ(ボードショーツ)は、ナイロン素材で膝上までの長さでデザインされていました。今の若者にとっては膝上のデザインは抵抗があるでしょうね。1970年だいは、「これぞ、サーファー」というスタイルを確立していました。そうなんです、「これぞ、サーファー」、私にとってのサーフデザインは1970年代にあります。YUKI NISHIMURAも当時のデザインにインスパイアされTシャツ「PEAK」、ポロシャツ「SWELL」をリリースしています。当時の「自然と融合する自由なスタイル」は「個の時代」が注目される現代にも繋がっていて、昔から「なりたい自分」を意識していた私にとっては1970年代のサーフカルチャーはすごく刺さるマインドなんだと思います。 サーフファッションは時代とともに変遷を繰り返しています。先日は1980年代のサーフファッションが大好きな方とも出会いました。人によって興味のある年代が異なりますよね。ファッションはその人の当時の思い出や考え方とも強く結びつきますし、それはとても大切なことだと思います。近年、1970年代サーフデザインの洋服が少なくなっていて、残念に思っていましたが、それはきっと自分の当時のアイデンティティーが時代から消えてしまうのではという気持ちも働いているのかもしれません。 今回はYUKI NISHIMURAの原点でもある1970年代のサーフファッションについて触れてみました。洋服の興味は人それぞれ異なると思いますが、YUKI NISHIMURAを通じて、少しでもサーフファッションに興味を持っていただけると嬉しいです。引き続きよろしくお願いします。次回のBLOGもぜひお読みください。
1970年代のサーフファッション
YUKI NISHIMURAは1970年代のサーフデザインを基調に「直線的で雑音のないデザイン」を目指しておりますが、そもそも1970年代のサーフファッションはどういうものなのか、少し紐解きたいと思います。 サーフファッションは、サーフィンブームが世界で起こった1970年代に誕生しました。サーフィンという「自然と融合する自由なスタイル」が生き方やファッションに派生し大きなブームを起こしました。また、アメリカの西海岸、特にカリフォルニアやハワイのビーチで誕生した1970年代のサーフィンカルチャーはその象徴として若者に広がりました。 この頃、日本でも影響を受け、特に湘南、鎌倉ではサーフィンが盛んに行われていました。RASHウェットスーツなど、日本を代表するサーフブランドが誕生したことも、サーフカルチャーが根付いた要因かと思います。 「自由」や「自然との融合」を意識したサーフカルチャーの発展とともに、ファッションにも影響が表れました。特に、サーフィンを題材にした映画「ビッグ・ウェンズデー」(1978年公開)の登場によって、サーファーのライフスタイルが一般にも広く知られるようになり、サーフファッションも同時に浸透していきました。当時日本でも雑誌『JJ』や『ポパイ』で、サーファーファッションが特集され、若者たちの間で人気となりました。1970年代はサーフィンが波に乗るだけではなく、ファッションやライフスタイルとしても確立された時代であり、日本でもその文化が花開いた時期となります。私が生まれた1975年はエネルギッシュな時期だったと想像できます。 1970年代のサーフファッションは、リラックスしたスタイルが特徴で、Tシャツやポロシャツはスモーキーカラーやブリーチしたような色あせたカラーを採用し、Ocean Pacificに代表される胸に横ラインのデザインが主流でした。サーファーショーツ(ボードショーツ)は、ナイロン素材で膝上までの長さでデザインされていました。今の若者にとっては膝上のデザインは抵抗があるでしょうね。1970年だいは、「これぞ、サーファー」というスタイルを確立していました。そうなんです、「これぞ、サーファー」、私にとってのサーフデザインは1970年代にあります。YUKI NISHIMURAも当時のデザインにインスパイアされTシャツ「PEAK」、ポロシャツ「SWELL」をリリースしています。当時の「自然と融合する自由なスタイル」は「個の時代」が注目される現代にも繋がっていて、昔から「なりたい自分」を意識していた私にとっては1970年代のサーフカルチャーはすごく刺さるマインドなんだと思います。 サーフファッションは時代とともに変遷を繰り返しています。先日は1980年代のサーフファッションが大好きな方とも出会いました。人によって興味のある年代が異なりますよね。ファッションはその人の当時の思い出や考え方とも強く結びつきますし、それはとても大切なことだと思います。近年、1970年代サーフデザインの洋服が少なくなっていて、残念に思っていましたが、それはきっと自分の当時のアイデンティティーが時代から消えてしまうのではという気持ちも働いているのかもしれません。 今回はYUKI NISHIMURAの原点でもある1970年代のサーフファッションについて触れてみました。洋服の興味は人それぞれ異なると思いますが、YUKI NISHIMURAを通じて、少しでもサーフファッションに興味を持っていただけると嬉しいです。引き続きよろしくお願いします。次回のBLOGもぜひお読みください。

サーフィンを始めると元気になる?
YUKI NISHIMURAデザイナーの西村です。 今日はタイトルにあるようにサーフィンの魅力についてお話をします。 私は新卒で就職した会社を退職し、わずかな期間ですが、個人のサーフショップでスタッフとしてお世話になっていました。25年程前でしょうか、当時はお客さんとサーフィンスクールによく行っていました。申込みで一番多いのは30代から40代の社会人。サーフショップは当時とても入店しづらい存在で、店員がとにかく怖い、常連客がたむろしているという印象でした。私が働いていたお店はそのようなことはありませんでしたが、個人店だったので、お客様はそのような先入観を持っていたかもしれません。カランコロンと扉の鈴が鳴り、お客さんが入ってくる。初めて来店するお客さまはかなり緊張しているようで、まずは店員に監視されている気持ちになるそうです。そのため、商品をとにかく見てまわることになります。近くの初心者用のサーフボード、その後、Tシャツやサングラスのショーケースを眺めながらお店をぐるっと回ります。そして出口のところで「サーフィンスクール受付中」と書いたポップに気づきます。サーフィンをやってみたいと思いながらも、近くにサーフィンを趣味としている人もいないし、どんな道具を準備して、どこの海に行けばわからない、どちらかというと始めづらいスポーツかもしれません。 『サーフィンスクールやってるんですか?』 力を振り絞ったその言葉を大切に返答をする。 『行きましょうか!』 サーフィンスクールは千葉の九十九里か湘南でした。朝3時にお店の前に集合して車で海へ向かいます。お店は横浜でしたので、千葉なら2時間半、湘南なら1時間、車で移動します。 車の中で『どうしてサーフィンをしようと思ったのですか?』この質問をすると、大抵のお客さまはお話が止まらなくなります。(笑)仕事で辛いことがある、または自分のこれからのキャリアに悩みがある、自分の性格を変えたい、、、。みなさんきっかけがありましたが、不思議なことに多くは仕事の悩みからくる「自分を変えたい」気持ちからでした。 海に到着するまでの車の中では、仕事の悩みについて盛り上がります。若かった私は仕事の経験も浅かったので、とにかくその話にうなずくだけで興味深く聞き続けました。お客様は「職場でも言えない気持ちを話せる時が来た」と急に生き生きとした言葉で話し始めます。 その後、サーフィンスクールで波に乗る不思議な感覚に達成感を感じ、帰る車中では仕事の会話は減っていました。また、サーフィンの楽しさがお店に通っていただくきっかけになり、さらに、サーファーらしいオシャレをしようと洋服をお店で見ていくお客様も多く、サーフィンスクール前とは比較にならないほど元気になっています。サーフィンスクールを通じて良い循環(サーフィンで体を動かし仕事を忘れ→サーファーらしく洋服に興味→仕事以外の仲間との交流)ができたのだと思います 「サーフィンは波にのる経験だけではなく、人との交流を通じてその人が元気になる」、私の中でそれがいつの間にかやりがいになっていました。サーフショップを退職したのち、会社員に戻りましたが、その後キャリアコンサルタントの資格を取得しました。取得して15年以上経ちますが、サーフィンスクールでの経験がきっかけになっています。 サーフィンは波の状況で簡単には楽しめない場面もありますが、その難しさも魅力の一つです。また、サーフブランドもかっこよくて身につける洋服によって日常に彩りが加わりますし、波に乗る魅力のほかにファッションやカルチャー、人生が紐付いています。さらに、仲間と海へ行くこともあるでしょうから、仕事と私生活の切り替えをする良いきっかけにもなります。私は当時サーフショップで働き、そのようなことを感じました。 サーフィン未経験の方、ぜひYUKI NISHIMURAをきっかけに始めてみてはいかがでしょうか?
サーフィンを始めると元気になる?
YUKI NISHIMURAデザイナーの西村です。 今日はタイトルにあるようにサーフィンの魅力についてお話をします。 私は新卒で就職した会社を退職し、わずかな期間ですが、個人のサーフショップでスタッフとしてお世話になっていました。25年程前でしょうか、当時はお客さんとサーフィンスクールによく行っていました。申込みで一番多いのは30代から40代の社会人。サーフショップは当時とても入店しづらい存在で、店員がとにかく怖い、常連客がたむろしているという印象でした。私が働いていたお店はそのようなことはありませんでしたが、個人店だったので、お客様はそのような先入観を持っていたかもしれません。カランコロンと扉の鈴が鳴り、お客さんが入ってくる。初めて来店するお客さまはかなり緊張しているようで、まずは店員に監視されている気持ちになるそうです。そのため、商品をとにかく見てまわることになります。近くの初心者用のサーフボード、その後、Tシャツやサングラスのショーケースを眺めながらお店をぐるっと回ります。そして出口のところで「サーフィンスクール受付中」と書いたポップに気づきます。サーフィンをやってみたいと思いながらも、近くにサーフィンを趣味としている人もいないし、どんな道具を準備して、どこの海に行けばわからない、どちらかというと始めづらいスポーツかもしれません。 『サーフィンスクールやってるんですか?』 力を振り絞ったその言葉を大切に返答をする。 『行きましょうか!』 サーフィンスクールは千葉の九十九里か湘南でした。朝3時にお店の前に集合して車で海へ向かいます。お店は横浜でしたので、千葉なら2時間半、湘南なら1時間、車で移動します。 車の中で『どうしてサーフィンをしようと思ったのですか?』この質問をすると、大抵のお客さまはお話が止まらなくなります。(笑)仕事で辛いことがある、または自分のこれからのキャリアに悩みがある、自分の性格を変えたい、、、。みなさんきっかけがありましたが、不思議なことに多くは仕事の悩みからくる「自分を変えたい」気持ちからでした。 海に到着するまでの車の中では、仕事の悩みについて盛り上がります。若かった私は仕事の経験も浅かったので、とにかくその話にうなずくだけで興味深く聞き続けました。お客様は「職場でも言えない気持ちを話せる時が来た」と急に生き生きとした言葉で話し始めます。 その後、サーフィンスクールで波に乗る不思議な感覚に達成感を感じ、帰る車中では仕事の会話は減っていました。また、サーフィンの楽しさがお店に通っていただくきっかけになり、さらに、サーファーらしいオシャレをしようと洋服をお店で見ていくお客様も多く、サーフィンスクール前とは比較にならないほど元気になっています。サーフィンスクールを通じて良い循環(サーフィンで体を動かし仕事を忘れ→サーファーらしく洋服に興味→仕事以外の仲間との交流)ができたのだと思います 「サーフィンは波にのる経験だけではなく、人との交流を通じてその人が元気になる」、私の中でそれがいつの間にかやりがいになっていました。サーフショップを退職したのち、会社員に戻りましたが、その後キャリアコンサルタントの資格を取得しました。取得して15年以上経ちますが、サーフィンスクールでの経験がきっかけになっています。 サーフィンは波の状況で簡単には楽しめない場面もありますが、その難しさも魅力の一つです。また、サーフブランドもかっこよくて身につける洋服によって日常に彩りが加わりますし、波に乗る魅力のほかにファッションやカルチャー、人生が紐付いています。さらに、仲間と海へ行くこともあるでしょうから、仕事と私生活の切り替えをする良いきっかけにもなります。私は当時サーフショップで働き、そのようなことを感じました。 サーフィン未経験の方、ぜひYUKI NISHIMURAをきっかけに始めてみてはいかがでしょうか?

ブランド名の由来
YUKI NISHIMURAデザイナーの西村です。 ブランド名の背景についてお伝えしたいと思います。一つ前のブログでYUKI NISHIMURAを立ち上げたきっかけをお伝えしましたが、元々サーフショップを開きたい夢はあったのですが、近年自分の好きなサーフデザインが少なくなったこともあり、自分でブランドを立ち上げ洋服をリリースしたいと思うようになりました。そしてブランド名を決めるにあたり、これまでの自分が経験してきたことの集約、また、これからの人生を象徴する名前にしようと考えていました。また、職場ではキャリアコンサルタントの資格を取得していたこともあり、転職や就職活動に悩む方の進路支援を10年以上携わっていました。(今は違う部署ですが、、、)その支援に携わる中で、私が若かった昔の働き方とは異なり、これからは自己実現を目指す「個の時代」に変化していくと感じました。社会情勢が変化しS N SやYouTubeを通じてさまざまな情報を入手でき、行動していけば夢が叶う時代です。そのようなことからいつの日か私自身も「自分の人生はどうあるべきか?」を意識するようになっていました。今回サーフブランドを立ち上げたことはその思いが積み重なった結果であり、ブランド名を自身の名前(西村勇気)にしようと決めた背景でもあります。自分の名前なので恥ずかしいところもありますが、このブランドを「自分の人生そのもの」と捉え、共に歩んでいきたいと考えました。サーフィンや洋服を通じてお客様が元気になって欲しいという気持ちもあり、まずは自分自身を知ってもらい、目標に向かうその姿をお見せできたらと思います。歳を重ねると職場や家族での役割を優先してしまい挑戦してみたいことについフタをしてしまいますが(私もその一人)、そのような方々にもYUKI NISHIMURAを通じて人生を楽しく捉えるきっかけにしてもらえると大変嬉しいです。このブログをお読みの皆さんもぜひご自身の名前をローマ字にして苗字と名前をひっくり返してみてください。はい、もうブランドができましたね。(笑)これから何をやってみたいですか?いつの日かお客様と対面でお会いして商品の話だけではなく仕事や人生のことも語らってみたいですね。「サーフィンと人生」、そんなテーマでオフ会を開催したいです!今回はブランド名の由来について説明をさせていただきました。その他お聞きしたいことがありましたら是非ご連絡ください。長くなり申し訳ありません。引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。
ブランド名の由来
YUKI NISHIMURAデザイナーの西村です。 ブランド名の背景についてお伝えしたいと思います。一つ前のブログでYUKI NISHIMURAを立ち上げたきっかけをお伝えしましたが、元々サーフショップを開きたい夢はあったのですが、近年自分の好きなサーフデザインが少なくなったこともあり、自分でブランドを立ち上げ洋服をリリースしたいと思うようになりました。そしてブランド名を決めるにあたり、これまでの自分が経験してきたことの集約、また、これからの人生を象徴する名前にしようと考えていました。また、職場ではキャリアコンサルタントの資格を取得していたこともあり、転職や就職活動に悩む方の進路支援を10年以上携わっていました。(今は違う部署ですが、、、)その支援に携わる中で、私が若かった昔の働き方とは異なり、これからは自己実現を目指す「個の時代」に変化していくと感じました。社会情勢が変化しS N SやYouTubeを通じてさまざまな情報を入手でき、行動していけば夢が叶う時代です。そのようなことからいつの日か私自身も「自分の人生はどうあるべきか?」を意識するようになっていました。今回サーフブランドを立ち上げたことはその思いが積み重なった結果であり、ブランド名を自身の名前(西村勇気)にしようと決めた背景でもあります。自分の名前なので恥ずかしいところもありますが、このブランドを「自分の人生そのもの」と捉え、共に歩んでいきたいと考えました。サーフィンや洋服を通じてお客様が元気になって欲しいという気持ちもあり、まずは自分自身を知ってもらい、目標に向かうその姿をお見せできたらと思います。歳を重ねると職場や家族での役割を優先してしまい挑戦してみたいことについフタをしてしまいますが(私もその一人)、そのような方々にもYUKI NISHIMURAを通じて人生を楽しく捉えるきっかけにしてもらえると大変嬉しいです。このブログをお読みの皆さんもぜひご自身の名前をローマ字にして苗字と名前をひっくり返してみてください。はい、もうブランドができましたね。(笑)これから何をやってみたいですか?いつの日かお客様と対面でお会いして商品の話だけではなく仕事や人生のことも語らってみたいですね。「サーフィンと人生」、そんなテーマでオフ会を開催したいです!今回はブランド名の由来について説明をさせていただきました。その他お聞きしたいことがありましたら是非ご連絡ください。長くなり申し訳ありません。引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

サーフブランド立ち上げのきっかけ
YUKI NISHIMURAデザイナーの西村です。 私は三重県志摩市の出身で大学進学とともに上京、大学1年生の冬、先輩から海に行こうと誘われ、それ以来30年サーフィンを続けてきました。そしてファッションやカルチャーにも紐付くサーフィンの魅力に惹かれ、サーフショップを開いてみたいと在学中に夢を持ちました。大学を卒業後、一旦は会社員となりましたが、その夢を実現しようと退職、サーフショップで働かせてもらうことになりました。しかし、夢の実現には届かず、サーフィンは趣味として捉え会社員に戻ることを決意しました。そしてサーフィンを続けているなか、サーフブランドのデザインが年々変わっていくことを感じ始め、残念に思っていました。私がサーフィンを始めた30年前は街を歩いていても「あっ、サーファーだ」と着ている洋服で分かったものです。先輩サーファー達が当時着ていたカッコいい洋服は1970年代のアメリカ西海岸で流行ったサーフデザインが中心でした。自分もあんなふうにカッコよくなりたいと思い、お金はありませんでしたが、洋服を探すようになりました。当時はLocal Motionが近くにあり、Ocean Pacific をはじめとする1970年代のサーフファッションを継承するデザインがたくさんありました。そして本題に入りますが、学生時代の30年前と今では時代が大きく変わり、現在はさまざまな情報が自分で取得できるようになり、当時では考えられなかったネットで洋服を販売する時代にもなりました。そのようなことから、あるとき、「もしかしたら自分でサーフブランドを立ち上げ洋服を作ったらお店を持たなくてもお客さんに届けられるかもしれない、それでそのアイテムが揃ったら夢であったサーフショップを開くことができるのでは」と考え始めました。アパレル専門学校や縫製の経験もありませんが、その後自分なりに情報を収集してTシャツ「PEAK」とポロシャツ「SWELL」をデザイン、製作をしました。その後、E Cサイトを準備して今に至ります。私がサーフィンを始めた大学1年生の時代はまだ携帯電話さえも周りでは持っていませんでした。サーフデザインの変遷、社会の変化、夢を持ち続けていたことなどが相まってこの度サーフブランドを立ち上げることができました。ある意味時代に救われたのかもしれません。私のような社会人としてある程度苦い経験もして社会を少し俯瞰できるミドル世代は、若い頃からの目標を叶えるチャンスが今の時代にはあるのかもしれません。たくさん書いてしまいましたが、まだスタートラインに立ったばかりですので、これからいかに「継続」するかが重要だと感じています。YUKI NISHIMURAは1970年代アメリカ西海岸のサーフファッションをベースに、直線的で雑音のないモダンデザインを加え、「懐かしくもあり新しいサーフブランド」を目指しています。お客様に商品を通じてしっかりとサーフィンの魅力を伝えられるように頑張っていきます。 今回はサーフブランドを立ち上げたきっかけを書かせていただきました。お付き合いいただきありがとうございます。是非次回の投稿もお読みいただけたらと思います。 引き続きよろしくお願いします。
サーフブランド立ち上げのきっかけ
YUKI NISHIMURAデザイナーの西村です。 私は三重県志摩市の出身で大学進学とともに上京、大学1年生の冬、先輩から海に行こうと誘われ、それ以来30年サーフィンを続けてきました。そしてファッションやカルチャーにも紐付くサーフィンの魅力に惹かれ、サーフショップを開いてみたいと在学中に夢を持ちました。大学を卒業後、一旦は会社員となりましたが、その夢を実現しようと退職、サーフショップで働かせてもらうことになりました。しかし、夢の実現には届かず、サーフィンは趣味として捉え会社員に戻ることを決意しました。そしてサーフィンを続けているなか、サーフブランドのデザインが年々変わっていくことを感じ始め、残念に思っていました。私がサーフィンを始めた30年前は街を歩いていても「あっ、サーファーだ」と着ている洋服で分かったものです。先輩サーファー達が当時着ていたカッコいい洋服は1970年代のアメリカ西海岸で流行ったサーフデザインが中心でした。自分もあんなふうにカッコよくなりたいと思い、お金はありませんでしたが、洋服を探すようになりました。当時はLocal Motionが近くにあり、Ocean Pacific をはじめとする1970年代のサーフファッションを継承するデザインがたくさんありました。そして本題に入りますが、学生時代の30年前と今では時代が大きく変わり、現在はさまざまな情報が自分で取得できるようになり、当時では考えられなかったネットで洋服を販売する時代にもなりました。そのようなことから、あるとき、「もしかしたら自分でサーフブランドを立ち上げ洋服を作ったらお店を持たなくてもお客さんに届けられるかもしれない、それでそのアイテムが揃ったら夢であったサーフショップを開くことができるのでは」と考え始めました。アパレル専門学校や縫製の経験もありませんが、その後自分なりに情報を収集してTシャツ「PEAK」とポロシャツ「SWELL」をデザイン、製作をしました。その後、E Cサイトを準備して今に至ります。私がサーフィンを始めた大学1年生の時代はまだ携帯電話さえも周りでは持っていませんでした。サーフデザインの変遷、社会の変化、夢を持ち続けていたことなどが相まってこの度サーフブランドを立ち上げることができました。ある意味時代に救われたのかもしれません。私のような社会人としてある程度苦い経験もして社会を少し俯瞰できるミドル世代は、若い頃からの目標を叶えるチャンスが今の時代にはあるのかもしれません。たくさん書いてしまいましたが、まだスタートラインに立ったばかりですので、これからいかに「継続」するかが重要だと感じています。YUKI NISHIMURAは1970年代アメリカ西海岸のサーフファッションをベースに、直線的で雑音のないモダンデザインを加え、「懐かしくもあり新しいサーフブランド」を目指しています。お客様に商品を通じてしっかりとサーフィンの魅力を伝えられるように頑張っていきます。 今回はサーフブランドを立ち上げたきっかけを書かせていただきました。お付き合いいただきありがとうございます。是非次回の投稿もお読みいただけたらと思います。 引き続きよろしくお願いします。

PEAK、SWELLの仕様について
近年のサーフブランドのTシャツやポロシャツは「あり型」と呼ばれる既製商品にデザインをプリントする方法が一般的です。 大量に且つ効率的に商品を生産する大手メーカーなどにとっては致し方ないかと思います。ただ、プリントされる範囲は前背面の中央部分に限られるため、どうしても画一的なデザインになってしまいます。一方、PEAK、SWELLは現在主流の生産方法にとらわれず、 側面までデザインが施されており、デザインの版を事前に製作したうえで生地にプリント、それを他のパーツ生地と縫い合わせをしています。 つまりオリジナルの商品となります。1970年代のアメリカ西海岸で流行したTシャツ、ポロシャツはPEAK、SWELLのように側面まで デザインが施されている商品が多く、このような生産方法は当時のサーフデザインを尊重しているYUKI NISHIMURAのこだわりでもあります。 生産には費用と時間がかかってしまいますが、そのぶんお客様の心に響くデザインに近づけると考えています。今回のブログでは仕様について説明をさせていただきました。お読みいただきご興味を持っていただけましたら幸いです。 引き続きどうぞよろしくお願いします。
PEAK、SWELLの仕様について
近年のサーフブランドのTシャツやポロシャツは「あり型」と呼ばれる既製商品にデザインをプリントする方法が一般的です。 大量に且つ効率的に商品を生産する大手メーカーなどにとっては致し方ないかと思います。ただ、プリントされる範囲は前背面の中央部分に限られるため、どうしても画一的なデザインになってしまいます。一方、PEAK、SWELLは現在主流の生産方法にとらわれず、 側面までデザインが施されており、デザインの版を事前に製作したうえで生地にプリント、それを他のパーツ生地と縫い合わせをしています。 つまりオリジナルの商品となります。1970年代のアメリカ西海岸で流行したTシャツ、ポロシャツはPEAK、SWELLのように側面まで デザインが施されている商品が多く、このような生産方法は当時のサーフデザインを尊重しているYUKI NISHIMURAのこだわりでもあります。 生産には費用と時間がかかってしまいますが、そのぶんお客様の心に響くデザインに近づけると考えています。今回のブログでは仕様について説明をさせていただきました。お読みいただきご興味を持っていただけましたら幸いです。 引き続きどうぞよろしくお願いします。